江國香織、短編小説「デューク」(おすすめ本)


江國香織さんの小説が好きだ。
沢山いい作品が多いので、誰かに江國香織さんの小説をオススメするときに、
どの小説を推したらいいのか迷ってしまう。

それでまず江國香織さんの本を初めて読むという人に、
短編小説「つめたいよるに」をお勧めしたい。
特にその中に収録されている「デューク」をぜひ読んで欲しい。

短編小説『デューク』



全く読んだことのない作家を初めて読むとき、自分はその作家の短編小説から読むことにしている。

短編ならその作家の空気感や世界観、自分に合う合わないが分かるので、
まず短編を手に取り、その後、気に入ったなら中編や長編に手を伸ばす。

そんなことで初めて江國香織さんの本を手に取ったのはこの「つめたいよるに」という短編小説だった記憶がある。

愛犬デュークの死。

デュークが死んだ。
私のデュークが死んでしまった。
私は悲しみでいっぱいだった。

冒頭、主人公である二十一歳になる「私」の愛犬デュークが死んでしまうことから物語は始まる。

デュークはモップのようなブーリー種という牧羊犬で、
たまご料理と、アイスクリームと、梨が好きで、拗ねた横顔はジェームスディーンに似ているとても可愛い犬だ。

そんな愛くるしいデュークが老衰で死んでしまって、主人公の私は泣きながらアルバイトへ向かう為に電車に乗る。

その電車の中で私はハンサムな十九歳くらいの男の子に出会う。

男の子の存在とデュークの不在。

泣いている私を見かねてその男の子は私に席を譲ってくれる。

私はその日バイトをズル休みをして、その不思議な魅力がある男の子と喫茶店やプールに行ったり、美術館や落語を見に行ったりする。

その時間だけデュークの死を忘れることができる。

瑞々しい男の子の生と、デュークの不在がこの物語に儚くも、美しいコントラストを見せている。

それはまるで、自分がいない悲しみを主人公に背負わせたくない想いのように、男の子は現実世界の美しさや楽しさを主人公と一緒に僅かな時間を共有しようとしている。

しかし、男の子との僅かな楽しい時間も過ぎ、
うす暗くなる夕暮れの中、私はまたいなくなってしまったデュークのことを思い出してしまう。

どんなに楽しい時間があっても忘れられない悲しみは誰にでもある。

物語の最後、「今までずっと、僕は楽しかったよ」と言うその不思議な男の子に私は救われることになる。
その不思議な男の子の正体とは。

愛するデュークの存在。


猫や犬、その他のペットを飼っている人にとって、ペットは家族同然にかけがえなく、
大切な存在だと思う。その家族が死んでしまうのは身を切られるほど辛いことだと思う。

長い時間、家族として一緒に住んでいたのなら、なおさら楽しかった思い出が多く残るものだと思う。

一つの出会いには必ず別れがある。
別れの中で後悔も少なからずあるのではないかと思う。

「どうしてもっと優しくできなかったんだろう」
「どうしてもっと大切にできなかったんだろう」


死という避けがたい運命の中で、残されたものはその死を受け入れるしかないものの、どうしても自分を責めてしまうことがあるのではないだろうか。
特に言葉を使うことができないペットとの別れならば、余計に愛すべきペットの気持ちを推し量ることしかできない。

また、ただのペットとしてではなく、一つの家族として受け入れた愛するものとの別れにどう向き合うべきなのか、このデュークは読者に教えてくれる。

愛するものの尊さ。

愛することは何か。
愛された記憶はどこに行くのか。

この短くも儚い物語は、愛すべきデュークを通じて、
愛すること、そして愛されることの尊さを教えてくれる。

江國香織さんの小説は、人のささやかな心の動きや揺れ、
深い悲しみの中にも救いがあることを教えてくれる。

今、そばにあるものを時に当たり前のことと思ってしまうことがある。
しかし、人は何かを失って初めてその存在のありがたさを気づかせてくれる。

流れる日々の中で、本当に大切な瞬間や時間は普通の日常の中にある。

この小説が本当に伝えたかったことはきっとそんなことではないだろうか。
この物語を読み終えた読者はきっと、自分のそばにいる人や、
愛するペット(家族)をもっと大切な存在であると感じるに違いない。


他にも沢山の江國さんの小説はありますが、
まずこの短い物語「デューク」をぜひ読んで欲しい。



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