江國香織『神様のボート』おすすめ本。

江國香織さんの小説の中で好きな作品は、
と聞かれて迷いなく答えるのがこの『神様のボート』です。

江國さんらしく、本作はとても静謐な文体ではあるけれど、江國さん自身あとがきで書かれているように「狂気の物語」である。

今回はこの小説で書かれる狂気に触れながら、
この本の魅力をお伝えしたいと思います。

神様のボート。


まず江國香織さんの本につけるタイトルが好きだ。
たとえば「号泣する準備はできていた」や「思いわずらうことなく楽しく生きよ」など、本を読む前にタイトルにとても惹かれるのだ。

この「神様のボート」というタイトルもとても惹かれるタイトルだ。
神様のボートってどんなだろう?
そんな風に想像しながらワクワクして初めのページをめくってしまう。

本書は二人の主人公が交互にそれぞれの視点で物語が進んでいく。
母親の葉子とその娘の草子。

二人は旅がらすのように引越しを繰り返し、住む場所を転々として暮らしている。母、葉子は昼間ピアノを教え、夜はバーなど飲み屋で接客をしながら二人の生活を支えている。

引越しのたびに、娘の草子は転校を繰り返し、そのことが少しずつ親子に影を落としていく。

なぜ、一つの場所に留まらず、引越しを繰り返すのか。
ある日、草子は母に質問する。
「どうして引越しばかりするの?」と。

そして葉子はこう答える。
「ママも草子も、神様のボートにのってしまったから」と。

母、葉子の過去。

母、葉子は一度結婚を経験している。
しかし、その後、葉子は「あのひと」と呼ぶ男性と「骨ごと溶けるような恋」をして離婚してしまう。

そして、奇跡のような恋をした「あのひと」は葉子の元を去って行ってしまう。

「かならず戻ってくる。そうして俺はかならず葉子ちゃんを探し出す。
どこにいても。」

あの人が言う「かならず戻ってくる」と言う言葉を葉子はずっと信じ続けている。これは葉子にとってほとんど呪いの言葉と言ってもいい。

どこへ引越しても、この言葉がある限り、葉子は現実に馴染めず、
どこにも行けない閉塞感の中で生き続けることになる。

「あのひとのいない場所になじむわけにはいかない」という理由で何度も引越しをすることになる。

ただ葉子にとって唯一、救いなのは草子の存在だ。
この二人の生活の描写はとても微笑ましく書かれ、葉子の恋の狂気を中和している。

母と娘の絆はとても強く、愛に溢れている。
住む場所が変わってもその愛情は変わることは無い。
なぜなら二人は「神様のボート」にのってしまったのだから。

しかし、物語は娘、草子の成長と共に少しずつ変化していく。
まるで草子ひとりだけ「神様のボート」から降りてしまうように。

恋をした先にあるもの。

この小説でとても印象深い文章がある。
この文章一つでこの小説の物語を語っているような文章だ。

言葉で心に触れられたと感じたら、
心の、それまで誰にも触れられたことのない場所に
触れられたらと感じてしまったら、
それはもう「アウト」なのだそうだ。

恋に落ちてしまうと、人は現実という普段の場所から、少し遠い場所に行ってしまうのではないだろうか。

心の奥の奥に触れられてしまうことで、引き返せない場所へと連れていかれるのではないだろうか。

葉子の恋も、その一つで、周りには狂気と思われることでも、
葉子にとっては二度と忘れられない記憶に残っているのだと思う。
これほど圧倒的な恋をした葉子に読者は憧れと、どうしようもなく近寄り難いほどの魅力的な気持ちにさせられる。

愛がそこにあるのなら。

もう二度と会うことはないかもしれない。
そうどこかで葉子は思っていたのではないだろうか。
そんな現実を受け止めながら、「あの人」の記憶と、幻想に酔ってしまいたいほど、葉子は恋に落ちてしまったのだと思う。

遠い記憶に変わってしまっても、あの時間は本物だった。
その事実は葉子にとってまた一つの現実だったのだと思う。

本当の恋に落ちた人を、誰も笑うことはできない。
どんなに滑稽に思えたとしても、真剣な恋ほど愛おしく、また尊いものはないだろう。

小説「神様のボート」は確かに狂気の物語である。
しかし、その中に人を愛する悲しいほどの愛おしさをこの物語は教えてくれる。

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