伊坂幸太郎 『AX アックス』おすすめ本

この度、KADOKAWA文庫WEBマガジン、『カドブン』にて僭越ながら伊坂幸太郎さんの小説『AX』のレビューを書かせていただきました。

殺し屋だけれど恐妻家の主人公。最後のページまで引き込まれる物語。ぜひ読んで欲しい一冊です。

非情な殺し屋には、守るべき家族があった。

 

殺し屋と聞いて思い浮かぶものは、鍛え抜かれた強靭な肉体と、人としての感情が欠如した非情で、冷徹なイメージだ。
しかし『AX アックス』に登場する主人公はそんな殺し屋のイメージとは全く逆で、滑稽なほど妻に気を遣う恐妻家である。

たとえば夜食ひとつにしても、ガサゴソと物音を立てるカップラーメンなどは避け、魚肉ソーセージを小動物のように静かに食べる気の遣いようは滑稽ではあるけれど、家庭を持つ一人の男として、どこか温かい共感を抱く。
また、このような既婚男性は世の中に溢れるほどいるのではないだろうか。

そんな、カミさんに頭が上がらない、冷蔵庫にあるプリンひとつ食べることにも気を遣う恐妻家の主人公が、表向きは文房具屋の営業として真面目に働く一方、裏では「兜」と名乗り、殺しの稼業をしているギャップに本書の面白さがある。

同じく殺し屋を描いた『レオン』という好きな映画がある。
ジャン・レノ演じる主人公のレオンはプロの殺し屋として家族を持たず、孤独にニューヨークの街で請け負った仕事を日々淡々と遂行している。

そんなある日、レオンは一人の少女マチルダと出会う。
このひとつの出会いがレオンの孤独と寂しさ、頑なな心を溶かしていき、殺し屋としてのレオンが「守るべきもの」を見つけ、やがて人間らしい感情を取り戻し、自分の命に替えてもマチルダを守り抜こうとする。

映画『レオン』と本書『AX』に共通するキーワードはこの「守るべきもの」の存在だと思う。

本書『AX』の主人公、兜も高校生の一人息子と妻の、守るべき家族を持っている。
裏稼業では冷徹な殺し屋をやりつつも、人間としての感情を失わないでいるには、この家族の存在が大きいように思う。
たとえ妻の機嫌に戦々恐々とする毎日でも、妻も一人の家族として大切な存在であり、また殺し屋という非日常と、真っ当な人間としての普通の日常とを繋ぐ大事な架け橋となるものだと思う。

兜が住む家の庭の金木犀にあるスズメバチの巣を一人で撃退するシーンが本書にはある。
はじめ、このシーンは物語を構成する上で本当に必要なのかと思うほど少し長く書かれていると感じたのだけれど、読み終えてみると、家族を守るという意味において、必要なシーンだと思う。
そしてスズメバチは兜や家族に敵対するもののメタファーではないかとさえ思う。
兜は自分がスズメバチの巣を撃退することによって、平凡な日常の中で、ひとつの形として家族を守る姿を、たとえ不恰好でも二人に示したかったのではないだろうか。

兜が殺しを辞めたいと兜の雇い主に伝えることから、物語は変化する。
そして仕事とはいえ、これまで散々人を殺め、他人の血を流して来た自分が殺し屋を辞めたとして、真っ当に生きられるはずもないと兜は苦悩する。

作者が書きたかったものは、生きることーーその難しさのなかで知ることになる、「守るべきもの」の大切さと、家族というかけがえのない存在の尊さではないだろうか。

殺し屋という死という存在と隣り合わせの生活の中で、唯一自分を支えるもの、光となるものが家族であったのではないだろうか。
たとえつらいと感じることがあっても、守るべき光があれば人は強く生きていけるものだと本書は教えてくれる。

先の映画『レオン』に有名なセリフがある。
ナタリー・ポートマン演じるマチルダがレオンにこう聞く。
「大人になっても人生はつらいの?」
そしてレオンは優しく答える
「つらいさ」と。


KADOKAWA文庫WEBマガジン、『カドブン
https://kadobun.jp